脇指 855 備州三原住正近作 天文五年八月日
- Bishu Mihara ju Masachika -

刃長 一尺七寸五分九厘六寸六分九厘九毛強 / 53.3cm 反り 五分六厘一毛 / 1.7cm
元幅 33.7mm 元重 8.1mm
先幅 物打25.7mm  横手位置21.9mm 先重 物打6.2mm  松葉位置5.4mm
目釘穴 2個 時代 室町後期天文五年(1536)
The latter period of Muromachi era
鑑定書 登録 昭和31年6月29日 愛媛県登録
附属 ・素銅地金鍍金はばき
・白鞘
価格 275,000 円(税込)



備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。
従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。
三原派は、年代で大きく三つに分かれ、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称しています。
また、三原派は古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。
貝三原派は、末三原の中で名前に貝を冠した一派の事で、何故貝三原というのかには諸説有り、現在有力な説としては備後国御調郡高調町貝ヶ原という地名に因むという説と銘に「備後國三原住貝○○」と銘に切る事に因むという説の二説が有力で、また、一派の作の中には重要刀剣に指定されている物もあり、作風から見ても技量高き刀工群です。

本脇指の作者である正近は、名を黒田助六と称し、末三原の一派である貝三原の刀工で、室町後期の天文頃に活躍しました。

元先の幅差開いて中切先。身幅広めで重ね厚く重厚な造り込み。地鉄は杢目がよく錬れて地沸付いて地景入り、刃文は匂口明るく冴えた直刃で、刃縁に数多の変化が見られ、細かな砂流や極細の金筋等も味わい深く、鋩子は直ぐに先丸く返っています。
古研ぎのためヒケ等の擦れが見受けられますが、鑑賞には支障が無く、そのままお楽しみ頂けますが、裏年紀入りの大変貴重な作品でもありますので、化粧直しを施して大切に次代に残伝えて頂きたい作品です。

裸身重量610グラム。
※委託品