脇指 847 備後國三原住正盛
- Bingo no kuni Mihara ju Masamori -

刃長 一尺六寸四分三厘五毛強 / 52.8 cm 反り 三分九厘六毛 / 1.1 cm
元幅 27.9 mm 元重 6.6 mm
先幅 物打22.2 mm  横手位置19.4 mm 先重 物打5.6 mm  松葉先3.5 mm
目釘穴 1個 時代 室町後期
The latter period of Muromachi era
鑑定書 登録 昭和48年5月17日 三重県登録
附属 ・素銅地下貝銀着上貝金着二重はばき
・白鞘
価格 180,000 円(税込)



備後国三原派は鎌倉時代末期に興り、以後室町時代末期に至るまで繁栄しました。一派のうち鎌倉時代末期より南北朝期にかけてのものを古三原、それ以降の室町期のものを三原と呼称しています。
この地方には、東寺や蓮華王院など大和中央の社寺の荘園が多く、三原派の作風に大和気質が窺われるのは、こうした畿内中央との交流によるものと推察され、また一方で、青江風の出来を示したものが見られることから、隣国備中鍛冶の影響も考えられています。
その作風は、鍛えに白け映りが立ち、まま板目の肌合いの中に杢が目立って肌立ち、また匂口が締まりごころとなり、帽子は丸く穏やかとなるのが特色といえます。
貝三原は、室町時代後期の三原に住した刀工群で銘文の中に「貝」を切り、これは住地が貝ヶ原であったからといいます。主な刀工には、正興、正盛、正賀、正近、正重、正広、正宗、正久などが居います。
正盛は初代が天文・永禄頃、二代が天正頃に作刀しており、本作は初代の作と思われます。
尚、正盛・正興・正宗の三人合作の刀が遺されており、その銘文では正盛の名が一番上に刻されているところから、貝三原鍛冶の中でも主要な刀工であったことが窺えます。

この脇指は元先の幅差開いて中切先。地鉄は小板目杢交じって淡く白気映り立ち、刃文は直刃で匂口締まりごころで明るく、鋩子は直ぐに先丸く返っています。
手が込んだ贅沢な二重はばきが附属していることからも、上士の所有であったことが窺え、伝来の良さが判ります。経年によりヒケ等が見られますので、余力ある方は是非とも再研磨を施していただき、特別保存刀剣鑑定まで御受審頂きたく思います。

裸身重量420グラム。