脇指 834 |
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信濃守藤原大道 |
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- Shinano no kami Fujiwara Daido - |
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刃長 |
一尺七寸二分九厘七毛 / 51.6 cm |
反り |
四分六厘弱 / 1.4 cm |
元幅 |
28.6 mm |
元重 |
6.2 mm |
先幅 |
物打22.3 mm 横手位置19.8 mm |
先重 |
物打4.6 mm 松葉先4.8 mm |
目釘穴 |
1個 |
時代 |
江戸前期
The early period of Edo era |
鑑定書 |
― |
登録 |
昭和55年6月5日 山形県登録 |
附属 |
・素銅地銀着はばき
・変塗鞘脇指拵(鞘半太刀金具) |
価格 |
143,000 円(税込)
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室町末期から新刀期にかけて、美濃には大道を名のる鍛冶が数工いますが、最初に大道銘を用いたのは、兼道、後の陸奥守大道です。
陸奥守大道以外の大道銘を切る刀工には、陸奥守大道の弟伊豆守大道の他、信濃守、参河守、相模守、豊後守を受領した大道がおり、いずれも実力ある刀工として知られています。
陸奥守大道は、永禄十二年正親町帝に自作の剣を献上し、帝(正親町天皇)から陸奥守と「大」の一字を賜り、「大兼道」と銘し、その後陸奥守を受領し「大道」と改銘しました。
初代信濃守大道は美濃の代表工であり室屋関大和(陸奥守大道)の孫と言われ、慶安頃に活躍。二代は寛文頃、三代は元禄頃、四代は享保頃と代々続き、寛永十八年紀の作がある信濃守大道は、関ケ原を去る遠からぬ時期に雄刀を打ち、武士の需に応えました。
この脇指は無鑑ながら信濃守大道の真面目な作品であり、元先の幅差頃好く開いて中切先に結んだ、均整とれた美しい体配に、小板目杢目交じりの地鉄がよく錬れて詰んで地景入り、刃縁には大粒の沸が絡み、刃中には足入り、砂流かかり、金筋が見られ、鋩子は乱れ込んで先丸く返っています。
附属の拵は経年による塗りの傷みが見られるも、青貝を散らした変わり塗りの贅沢な塗りが施されている。柄にがたつき無し。鐔鳴り在り(要責金)。鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが良く、扱いの良さを感じさせます。
裸身重量440グラム。 拵に納めて鞘を払った重量688グラム。
販売条件付きです。
他店への売却しない。下取りに出さない。諸工作は当店を介して行うこと。 |
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