短刀 298 無銘(新々刀相州綱廣)
- Mumei(Shinshinto Soshu Tsunahiro) -

刃長 五寸二分三厘 / 15.85 cm 反り 内反り
元幅 20.8 mm 元重 5.0 mm
先幅 物打18.7 mm 先重 物打4.3 mm
目釘穴 1個 時代 江戸時代後期
The latter period of Edo era
鑑定書 保存刀剣鑑定書 登録 令和1年10月17日 香川県登録
附属 ・素銅地銀着はばき
・黒蝋塗孔雀羽蒔絵鞘合口短刀拵
価格 550,000 円(税込)



相州住綱廣は室町後期から江戸末期まで連綿と続いた相州鍛冶です。
初代は山村姓で、初銘を正廣と切りましたが、その後小田原の北條氏綱に召出され、「綱」の一字を賜り綱廣と改銘したと言われています。
綱廣の代別は難しいと言われていますが、藤代刀工辞典では初代が天文、二代が永禄、三代が文禄とされており、山村家系図および古文書によると天文七年(1538)から天文十年(1541)の間に初二代の代替があったとされています。
三代綱廣は山村宗右衛門と称し、鎌倉扇ケ谷に住しましたが、後に津軽藩主の招きによりその地へ移り、大小300振を鍛刀し、慶長11年(1606)に帰国したとあります。その作品の銘には「津軽主為信相州綱廣 慶長十乙巳八月吉日 三百腰之内」「津軽主為信相州綱廣呼下作之 慶長十乙巳八月吉日」等が遺されており、綱廣の名跡は江戸末期迄連綿と続き栄えました。

この短刀は無銘ながらも相州綱廣と極められた一刀で、刃長五寸余、華美な合口拵が附属していることから、高貴な姫君等の懐剣として誂えられたものであろう。
短寸ながら堂々とした体配で、棟は庵とし、地鉄は板目肌がよく練れて地沸が付き、地景入り、刃文は湾れ調子に互ノ目を交え、細かな砂流かかり、飛焼とも二重刃とも受け取ることができる力強い湯走が見られ、鋩子は乱れ込んで先丸く返る。匂口は明るく、相州伝たる沸の妙味は流石です。

附属の拵は一見して貴人が所持していたであろうことを容易に判らしめる豪華な合口短刀拵で、鞘の表裏には孔雀の羽が見事な蒔絵と螺鈿細工で描かれている。柄には三ツ葉葵紋が表裏に蒔絵されており、伝来を示す書付こそ無いものの、高松松平家伝来との謂れを首肯させる逸品です。

裸身重量71グラム。  拵に納めて鞘を払った重量98グラム。