刀 1608 無銘(大道)
- Mumei(Daido) -

刃長 二尺二寸八分二厘 / 69.15 cm 反り 三分三厘教 / 1.02 cm
元幅 31.3 mm 元重 7.4 mm
先幅 物打26.5 mm  横手位置23.4 mm 先重 物打6.4 mm  松葉位置5.1 mm
目釘穴 1個 時代 室町末期天正頃
The latter period of Muromachi era
鑑定書 保存刀剣鑑定書 登録 昭和51年4月28日 愛知県登録
附属 素銅はばき
茶変塗鞘打刀拵(牛革巻)
価格 484,000 円(税込)


室町末期から新刀期にかけて、美濃には大道を名のる鍛冶が数工居り、中でも陸奥守大道は有名で、経眼する年紀には天正2、4、13、18年があります。また、三品派の祖として伊賀守金道、越後守金道、丹波守吉道、越中守正俊の四兄弟の父としても広く知られる 大道は、関室屋兼在系の刀工と伝え、初銘を兼道と切り、はじめ関の地で鍛刀します。
永禄12年、正親町天皇より「大」の字を賜り、「兼道」より「大道」と改め、その頃の銘文には「大兼道」「陸奥守大兼道」と切ったものがみられ、「陸奥守」も同時期に受領したものと推察されます。
美濃系鍛冶は不思議なことに、ある時期を境に一部の鍛冶を除いて名に“兼”の字を用いなくなります。例をあげますと“兼常”が“政常”へ、“兼房”は”氏房”へと改銘していることから、兼道も初めは大兼道と銘切っていたものを“兼”の字を略して“大道”と改めたものと推測されます。
その後は岐阜に移り、天正18年頃、堀川國廣が関東へ下向の際、濃州岐阜の地で大道と合作した「濃州岐阜住大道 信濃守國廣」と銘ある作品が遺されており、両者の交流を窺い知ることができます。文禄2年頃になると、四人の子供とともに上洛し、その後は山城の地に定住して鍛刀し、三品派を誕生させます。

この刀はうぶ無銘で、元先の幅差目立たず、切先が延びた豪壮ながらも上品な体配を誇り、地鉄は杢目肌が良く練れて詰み、少しく肌立ち、淡く映りごころがある、刃文は匂口締まった大湾れを巧みに焼き上げ、二重刃風の刃や食い違い風の刃に金筋を交え、鋩子は表裏共に直ぐに先丸く返り、特筆すべき疵欠点も無く、大道の技量の高さを示すに相応しい作品です。
刀身には刀樋に添樋が掻かれていますが、経年により添樋は所々姿を消しているものの、けして研ぎ減り激しい疲れた刀というわけではなく、しっかりと身幅重ねも健在です。再研磨を御検討頂けるお客様は、是非ともその際に添樋の補修も御用命下さい。しっかりとした美術観賞用研磨も格安にて承ります。

附属の拵は江戸時代に造られた鞘に、町井勲監修による武用柄を新調しております。上品な鴬色の牛裏革にて捻り巻きに仕上げた柄巻きは、手に馴染んで握り心地良く、更には手元重心で非常にバランスが良い一刀故に、美術鑑賞刀のみならず、居合稽古刀としても必ずやお気に召して頂けることでしょう。

裸身重量701グラム。  拵に納めて鞘を払った重量943グラム。