刀 1600 |
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無銘(高田) |
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- Mumei(Takada) - |
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刃長 |
二尺二寸八分零厘強 / 69.1 cm |
反り |
五分零厘四毛強 / 1.53 cm |
元幅 |
30.05 mm |
元重 |
6.4 mm |
先幅 |
物打24.2 mm 横手位置22.8 mm |
先重 |
物打5.0 mm 松葉位置4.6 mm |
目釘穴 |
2個 |
時代 |
室町時代
The Muromachi Era |
鑑定書 |
― |
登録 |
昭和26年5月15日 大分県登録 |
附属 |
・素銅地金着太刀はばき
・白鞘 |
価格 |
385,000 円(税込)
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豊後国には鎌倉時代初期に定秀・行平の名工が興き、南北朝時代には同国高田の地に友行が出現して豊後国『古高田』の始祖として名高い。文明二年(1470)に大山祇神社に奉納された国宝の大太刀(無銘 伝豊後友行
附)野太刀拵)をはじめ、重要文化財、重要美術品を含め五口の国指定品があります。
友行の門人である重行の子、長盛の代より藤原姓を改め平姓を名乗ったことから、室町時代の作品は『平高田』と呼称しています。
戦国時代末期になると高田の地は大友氏の庇護を受けて備前、美濃と比肩する最盛期を迎えて利刀を鍛えました。
安土桃山期になると大友氏の失脚に伴い一時衰退したものの、海運の利に恵まれて再復興し『統行』以降に藤原姓を復活させたことより『藤原高田』と呼ばれています。
高田鍛冶は古刀期より盛んに他伝を採り入れたために作域が広く、斬れ味に優れたことから中級武士の好尚に乗じて大いに繁盛し、統行、重行、行長の三工が良業物位列に叙され称賛されており、行長の刃味は良業物として知られています。
この刀は大きく磨り上げられるも刀らしい姿を留め、切先延びる。地鉄は杢目肌よく練れて肌立ち、地景入る。刃文は総体に潤んで深く、処々匂口締まる箇所が見られ、足入り、金筋や稲妻を見せ、砂流かかり、下の方では食い違い風の刃も見られ、一部刃の駆け出しが見られる。鋩子はふくら部分刃が駆け出し、力強い返りが長く残っています。
前所有者が金着太刀はばき、白鞘、研磨等の諸工作を行いました。非常に綺麗な状態です。一度保存刀剣鑑定を受審されたそうですが、古い脇物の極めがついたそうで、納得いかず破り捨ててしまわれました。
昭和26年大分県の大名登録150番台。まさに大名所有であった一刀です。再度保存刀剣鑑定を御受審下さい。
裸身重量714グラム。
各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。
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