刀 1481 |
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肥前國備中大掾藤原正永 |
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- Hizen no kuni Bicchu daijo Fujiwara Masanaga - |
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刃長 |
二尺三寸四分三厘弱 / 71.0 cm |
反り |
六分五厘 / 1.97 cm |
元幅 |
33.3 mm |
元重 |
7.6 mm |
先幅 |
物打26.5 mm 横手位置23.3 mm |
先重 |
物打5.8 mm 松葉位置4.6 mm |
目釘穴 |
2個 |
時代 |
江戸前期延宝頃(1673~)
The early period of Edo era |
鑑定書 |
特別保存刀剣鑑定書
甲種特別貴重刀剣認定書 |
登録 |
令和28年8月10日 福井県登録 |
附属 |
・宣徳地銀着はばき
・黒石目塗鞘打刀拵
・白鞘 / 継木 |
価格 |
1,600,000 円(税込)
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備中大掾正永は、二代河内守正廣の長男として生まれ、俗名を伝兵衛、初銘を「廣永」と称しました。
寛文5年、初代河内大掾正廣が没したため、二代正廣が上洛し、「武蔵守」から「河内守」に転じ、名を「正永」から「正廣」に改めました。正永も父と共に上洛し「備中大掾」に任じられ、元禄12年、二代正廣が没し、肥前正廣家三代目を家督を相続。それに伴って「河内守」に転任し、「正廣」を襲名する必要があったため、元禄14年に受領願いを佐賀藩庁に提出するも、その許否は明らかとならぬうちに、3年後の宝永元年に60歳で没しました。そのため正永は正廣とは称さず、終生「正永」と称したと言われます。尚、二代正廣、五代正廣も同様に初銘を「正永」と称しましたが、他の各代と違い、本工正永は終生「正廣」と銘切ることは無かったと言われます。
また、正永の自身銘の作品は決して多くなく、それはその殆どを二代正廣の代作代銘に従事したためと考えられます。実際に彼が肥前正廣家の当主として在任したのは僅かに5年のみでした。
正永の作風は、初・二代正廣と同じく迫力ある互の目乱れを最も得意としましたが、直刃を焼かせても上手です。
この刀は、元先の幅差頃好く開き、切先延び、地鉄は小板目が詰んで地沸微塵に厚く付き、地景細かによく入った精美な鍛えに、匂口明るく冴えた直刃を焼き上げ、刃縁に細かな砂流ごころの刃や金筋、稲妻を交え、互ノ目足入り、処々に節を見せ、鋩子は表裏共に直ぐに先丸く上品に返っており、肥前刀の代名詞である直刃を持ち合わす技量を遺憾なく発揮して鍛え上げた名作です。
附属の拵は柄にガタツキ無くしっかりとしており、鐔も殆ど鐔鳴りしません。鞘を払って構えてみると、手元重心でバランスが良く、美的面だけでなく、実用面もしっかりと考慮されて鍛えられた一刀であることが窺えます。
現在、正永の作品は乱れ出来の一振が重要刀剣指定を受けています。今後直刃出来の物が重要刀剣指定されるなら、本刀が最有力候補になることでしょう。
裸身重量858グラム。 拵に納めて鞘を払った重量1,132グラム。
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