刀 1358 陸奥白川住固山宗俊 文久三年八月日
- Mutsu Shirakawa ju Koyama Munetoshi -

刃長 二尺三寸七分一厘弱 / 71.85 cm 反り 四分六厘弱 / 1.4 cm
元幅 32.8 mm 元重 9.1 mm
先幅 物打24.4 mm  横手位置22.0 mm 先重 物打6.8 mm  松葉位置6.3 mm
目釘穴 1個 時代 文久3年 (1863)
The latter period of Edo era
鑑定書 特別保存刀剣鑑定書
日本美術刀剣倶楽部鑑定書最優秀作
登録 昭和59年7月31日 大阪府登録
附属 ・赤茶石目変塗鞘打刀拵
・素銅地金着はばき
・白鞘 / 継木
価格 3,300,000 円(税込)



江戸時代後期、幕末の名工、固山宗次の一族、宗俊の堂々たる作品です。宗俊はその名が示す通り、幕末の名工、固山宗次の一族で、奥州白川に住して槌を振るいました。
銘鑑によると奥州白川に同名で二代おり、本作はその年紀より二代宗俊の作と鑑せられます。
宗俊の通称は「伊三郎」で、「白龍子」と号していました。作刀していた期間は、1854~1868年(嘉永7年~慶応年間)であったと考えられています。明治の廃刀令等、時の流れに影響され、刀剣鍛錬を断念せざるを得なくなったことは非常に惜しまれ、明治21年に53歳で亡くなった都合もあって、現存作は少なく、いずれの作品も貴重な遺作と言えます。
作風は、茎の仕立や銘振りなど、全てが宗次の刀に似ており、小板目がよく詰んだ綺麗な地鉄に、刃文は互の目丁子を焼き、やや小沸が付くのが特徴です。

この刀は元先の幅差が頃好く開き、切先やや延びごころ。反りやや浅目で茎は長く、重ね厚く頑丈な造り込み。地鉄は固山宗次によく似て小板目肌よく練れて地沸が付き、地景細かに入って精美なることこの上無し。刃文は互の目で焼き出し、明るく冴え、匂口は締りごころながらもふわりとした柔らかさを感じさせ、刃中には足が頻りに入り、帽子は横手で互ノ目を焼き込み、焼きたっぷりと、直ぐに先丸く返る。
堂々たる剛刀でありながら、全体のバランスが頗る優れて美しく、地刃共に一点の破綻もなく焼き上げているその技量の高さには、流石に幕末の名工、宗次一族の卓尾を飾る刀工であると畏敬の念を感じさせ、これだけの重ね厚い剛刀でありながら、手元重心で扱い良さを感じずには居られない。当に宗俊の高い技術力を余すところなく示した名品中の名品。茎の状態も茎千両の言葉に相応しい抜群の状態を保っています。

附属の拵は保存状態が頗る良く、大きな鐺と蜘蛛の巣を題材にした金具が眼を惹くと共に印象深く、切羽一枚に至るまですり替えられること無く、本刀と共に伝来してきた逸品です。

裸身重量1,013グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,420グラム。


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