No.675
 
合戦図
藻柄子宗典製
Soheishi Soten
縦:71.65mm / 横:66.95mm / 切羽台厚:4.6mm
重さ 83g
附属 : 桐箱
江戸中期延享・寛延頃(1744〜)
The middle period of Edo era
 
  ¥ 165,000 (税込)  

喜多川氏。喜多河とも切銘する。はじめ秀典と名乗り同人。優工である。京都の出身であるという。この一派は世に彦根彫りと呼ばれ、当時流行し広く世人に愛好された。『装剣奇賞』に宗典を喜多川氏二代目、江州彦根の人と記して、二代宗典の存在を認めているが、これは秀典を初代として、宗典を二代とみなしたものとも考えられる。とりあえず初二代同人説を採用して後学の資料の出現に待つ。また同書に「藻柄子(そうへいし)と銘す。しかるに世俗或いは誤ってモガラシと読む者あり、一笑にたえたり」と述べている。
宗典は銘文にも作位にも変化が多く、75歳以上の長寿を全うして活躍した。彦根藩の川北氏の扶持を受け後援されたと一本に記す。美濃国出身説もある。門弟も多く養成したため、後代の偽物の混入も少なくない。近江国彦根中薮住。延享・寛延頃。

この鐔は宗典の代名詞である彦根彫りの手法にて、合戦の様子を臨場感溢れる鏨使いで表した逸品。派手さを求めて後年金覆輪をかけられた宗典系の鐔が多い中、本鐔はうぶのまま伝来しており、耳には細かな鏨が刻まれ、そこに金象嵌が施されています。鐔の肉厚よりはみ出した立体的な彫りだけに、人物の顔等が損なわれてしまった名品が多々見受けられる中、健全な状態で今の時代まで残っている本鐔は大変貴重な存在と言えるでしょう。