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後藤一乗、加納夏雄と共に幕末三名工として賞讃される田中清寿は、文化元年(1804年)に武州鐔工、田中房二郎の子として江戸で生まれ、後藤正乗のもとで修行し、親の号を踏襲して東龍斎と号しました。自流、流自、我一格、一家式などの添銘を切り、弘化二年(1845年)に法橋に叙され、翌年は法眼に進む。多くの門人を養成すると共に数々の名作を世に生み出し、明治9年(1876年)、73歳で没しました。 この鐔は田中清寿が築いた東龍斎派の名品で、月夜に照らされる梅樹を巧みな鏨捌きで見事に彫り上げた逸品。 大振りで鉄味も大変良く、見ていて飽きない構図と仕事の良さは見事の一言に尽き、これだけの繊細な彫りを施しながらも、自身の銘を切らなかったのには、註文主に憚って等、何やら理由があってのことと想像されます。 |
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