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桃山時代〜幕末頃迄活躍した金工(鐔工)。栃畑系の鐔工達の歴史は、石州の石見銀山の歴史と深く係わっている。石見銀山が発見されたのは鎌倉時代のことで、桃山時代末期から江戸中期にかけて殷盛を極めた。石見銀山で働く登地波多(栃畑)鉱山の工人達の余技や副業として製作し始めたものが定着し、武士、商人の指料に用いる為、或いは土産物として販売されたものと思われる。時代が移り変わり、幕末頃になると銀の産出量も少なくなり、鐔の製作も極めて減少し、大森の町も寂れて物悲しく、武士の夢の跡のみ些かの慰めで残っていた。 栃畑鐔は島根県地方では銀山鐔と言われ、特徴は全部鉄地丸型(変わり丸型)縄耳で、大部分が蕨手の図である。在銘の鐔は、「石州銀山住守重」のものと、「浜田住寿三郎」のものぐらいで、殆ど無銘である。 赤銅磨地。耳部に力強い縄目模様が施されています。登城指の拵等に必要不可欠な一枚です。 |
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