No.1095
 
志度の海士図
尚常
Naotsune
縦:70.9mm / 横:66.55mm / 切羽台厚:4.5mm
重さ 92.3g
附属 :桐箱
保存刀装具鑑定書
日本刀装具研究会鑑定書
 
  ¥ 165,000 (税込)  

吉岡氏。讃岐国志度村にある真言宗の名刹志度寺に関する『志度寺縁起絵図の海女の珠取り』物語をあらわした一枚。人物の顔等に金銀銅の象嵌を施し仕上げている。

時は千三百余年前、天智天皇のころ。藤原鎌足が亡くなり、唐の第三代皇帝、高宗に嫁いでいた娘は父の追善のため、三つの宝物を贈った。
しかし、都への船が志度浦にさしかかると、三つの宝物のうち「面向不背(めんこうふはい)の珠」が龍神に奪われてしまった。
鎌足の子の不比等は玉を取り戻すため、身分を隠して志度へ。海女と契り、一子房前をもうけた。不比等は数年後、素性を明かし、珠の奪還を海女に頼む。
海女は「私が珠を取り返してきましょう。その代わり、房前を藤原家の跡取りに約束してください」と竜宮に潜っていった。
腰に命綱をつけた海女の合図があり、不比等が綱をたぐると、海女の手足は龍に食いちぎられていたが、十文字に切った乳房の下には珠が隠されていた。
房前は藤原家を継ぎ、大臣に出世した。ある日、不比等から母の死の理由を聞かされ、志度を訪問。千基の石塔を志度寺に建て、菩提を弔った。

伝説は志度寺の由来を記す「志度寺縁起」の一つに伝えられ、能の「海士」にもなっており、不比等、房前らの登場人物、どの方向からでも釈迦の立姿を拝むことができる小さな珠の面向不背の珠も実在しているが、悲しき主人公である海女の物語は作り話であり、何時、どこの誰が物語を創作したのかは定かではない。
しかしながら、それでも志度町には、海女が珠を取り上げた真珠島、天野や玉浦など、物語にまつわる史跡と地名が多く残っており、海女の命日の旧暦六月十六日には毎年、志度寺で十六度市という市が立つ。