甲冑 089 紫糸威大鎧
- Murasakiitoodoshi oyoroi -

鑑定書 時代 近代(大正〜昭和初期)
附属 価格 \ 2,200,000(税込)  



両軍から腕に覚えある武士が、それぞれ勇ましく名乗りを挙げて戦う一騎打が主流であった平安時代〜鎌倉時代。その剛の者を強靭な矢や刀剣から守る華麗で重厚なる大鎧。その完成は平安時代前期であり、最古の現存品は大山祗神社に残る沢潟威鎧残欠(国宝)である。

大鎧は肩上中央に首の側面防御のための障子板を立て、胴部は長側(胴本体)と脇楯(壺板)の二つからなり、弓を引いた際に胸の札(鎧を形成する小札と呼ばれる小さな板。これを綴じ合わせて鎧を形作る。)に弦が引っかかるのを防ぐ意味と装飾を兼ねた弦走と呼ばれる絵韋を張っていること、大袖と呼ばれる大きな楯が肩の左右につき、胸の左右に栴檀板と鳩尾板を肩上から吊り下げている点等が大きな特徴である。

また、栴檀板は太刀を揮う際の運動性を高める為、鳩尾板とは構造が異なり、小札を威して可動式とし、四間の大きな草摺は鞍に跨った折に、腰から大腿部を四方の箱型となって防御する仕組みとなっている。

鎌倉期迄は大鎧に籠手と臑当のみを具して用いたが、南北朝期になると咽喉を防御する喉輪や、草摺下方を護る佩楯等が附属するようになり、その後一騎打ちの騎馬戦から集団での徒歩戦へと戦闘形式が変わるに伴い、徒歩には運動性が悪く不向きと言う理由から室町期には胴丸や腹巻、桃山期には当世具足にとって代わられた。

されどやはり高級武将の間では身分の象徴として着用する者も多く、江戸中期以降になると完全に着用目的や甲冑としての本来の目的を逸脱し、大名家や高禄武士の家の象徴として飾金具の凝った仰々しい飾り鎧として製作された。

この鎧は戦前に作られた鎌倉後期大鎧の複製で、本格的に小札を一枚一枚綴じ、漆で固めて作られている。

材料の細部迄本歌同様の物を用いての大鎧製作は、現在でも億単位の費用がかかる。いかに古の武士達が己の晴衣装、そして死装束ともなろう甲冑に、惜しげもなく財を費やしたかが伺えよう。

製作されてから今日までの間に程好く時代が付き、右大袖の威糸が日焼けにより色浅くなってはいるが、古作に見せかけて製作した近年の現代鎧や、形のみを真似た拙い現代鎧とは全く異なり、わざとらしい時代付や嫌らしさは一切なく、堂々たる威風漂い、資料としても価値ある一領である。


※撮影に使用している鎧立並びに繰締緒は附属しません。
※写真では赤い総角が付いていますが、現在は威糸と同色の紫色の総角を誂えて付けております。


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