脇指 698 |
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相模守藤原廣重 |
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- Sagami no kami Fujiwara Hiroshige - |
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刃長 |
一尺七寸九分七厘弱 / 54.46 cm |
反り |
四分六厘強 / 1.41 cm |
元幅 |
30.0 mm |
元重 |
7.5 mm |
先幅 |
物打22.8 mm 横手位置20.2 mm |
先重 |
物打6.0 mm 松葉先5.2 mm |
目釘穴 |
1個 |
時代 |
室町後期天正頃(1513~)
The latter period of Muromachi era |
鑑定書 |
特別貴重刀剣認定書 |
登録 |
昭和34年7月23日 広島県登録 |
附属 |
・素銅地下貝金鍍金上貝銀着楓に鹿模様二重はばき
・白鞘 |
価格 |
275,000 円(税込)
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武州下原刀は、武蔵国弾軍の恩方村、横川村、慈根寺村(元八王子村)等に散在した山本姓を名乗る一族の刀工群が製作した刀剣類の総称で、現在の東京都八王子市で活躍しました。
この地は管領山内上杉領で、上杉家の老職(武蔵守護代)の滝山城主大石道俊、そして、小田原北条氏の関東制圧後は三代氏康の次男八王子城主北条氏照の庇護を受け、二代周重は北条氏康から”康”の一字を賜り「康重」と改名。康重の弟は、北条氏照から”照”の一字を貰い「照重」と改名。その後、徳川家からも厚く庇護され、その御用を勤めました。中には水戸光圀から一字を賜った刀工も居ります。
作刀上では室町時代末期より、安土桃山、江戸時代を通して、周重・康重・照重・廣重・正重・宗國、安國等の刀工を生み、代々下原鍛冶の伝統を受け継ぎ、江戸初期からは新刀伝をとり入れた作刀も多く見られ、下原鍛冶は十家に及び「下原十家」と言われました。江戸中期以降になると衰退するも、幕末まで続く武州唯一の刀工群です。
この脇指は元先の差が程好く開いて中切先となった、如何にも日本刀といった印象を与える上品な体配が印象的で、地鉄は小板目杢交じりで良く練れ、少しく肌立ち、纏まりが良く、刃文は匂口明るく冴えた直刃で、刃縁には地鉄に絡んだ金筋や稲妻が顕著。匂口は刃方と棟方双方に向かって微細に乱れ、鼠足入り、帽子は表裏共に直ぐに丸く返っています。
現状でははばき元と横手付近、棟の一部に小錆が見られますが、じゅうぶんに御観賞をお楽しみ頂けます。下地も良い研磨が施されているのでキリリとしており、見ためにも清々しさを感じさせます。
刀身の出来が非常に良く、附属する文様入りのはばきからも、相当な上士の指料であったことが窺えます。上述の小錆を部分研磨されるか、或いは全体を再研磨頂き、特別保存刀剣同時審査を御受審頂いて末長く御愛蔵頂きたい逸品です。
裸身重量582グラム。
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