脇指 565 無銘(千子正重)
- Mumei(Sengo Masashige) -

刃長 一尺一寸四分四厘弱 / 34.67 cm 反り 一分 / 0.33 cm
元幅 28.7 mm 元重 5.4 mm
先幅 物打26.5 mm 先重 物打4.4 mm
目釘穴 2個 時代 室町中期永正頃(1504~)
The middle period of Muromachi era
鑑定書 保存刀剣鑑定書 登録 昭和44年12月12日 群馬県登録
附属 ・素銅地金着はばき
・白鞘
価格 500,000 円(税別)



正重は村正を始祖とする千子派代表の刀工で、初代村正の子、娘婿、もしくは門人とも伝えられ、初代が永正、二代は天文頃に活躍しました。刀は比較的少なく短刀や寸延物が多く経眼されます。
千子派は焼刃の構成や茎の仕立に特徴があり、刃味鋭く、当時から多くの武辺者に愛用され、また、徳川家に仇なす妖刀とのことから、徳川打倒を目指した諸将もこぞって用い、中でも真田幸村が有名です。
徳川家が天下を治め、泰平の江戸期になると、徳川家にはばかって数多くの村正が無銘にされたり、廣正や村重等と銘を改竄されました。
※外交史料集「通航一覧」の第四巻「寛明日記」によると、長崎奉行の竹中重義に疑義があり、幕府によって屋敷が捜索されたところ、おびただしい金銀財宝に加え、村正の刀を24口も所蔵していたことが発覚し、寛永11年(1634年)2月22日、重義は嫡子源三郎と共に浅草の海禅寺で切腹、一族は隠岐に流罪を命じられたといいます。

この脇指は無銘ながらも正重と個銘極めされた一刀で、フクラがやや枯れた鋭い造り込み。仰々しくないタナゴ腹中心や刃の出来から、永正頃に活躍した初代と鑑せられます。杢目肌良く練れて詰んで肌立ち、刃文は掟通りに表裏の刃が揃い、匂口明るく冴え、刃縁に叢沸付き、互ノ目や湾れの山に小互ノ目や丁子派が交じって複雑な変化を見せ、総じて村正より派手は出来口を示しており、正重との個銘極めは至極首肯できる作品です。中心には銘を潰した痕跡が鑑られ、古くは村正として伝来していたのか、或いは千子派であることを憚り銘を潰したものと考えられます。

現状古研ぎのため、一部に小錆や擦れが見受けられます。上研磨を施して頂きたいとの思いから、研磨代金を考慮した価格で御案内致します。村正には手が届かずとも、村正の雰囲気を楽しめる千子正重の小脇指を、是非この機会に御入手下さい。

裸身重量231グラム。


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