刀 1302 無銘(金剛兵衛盛高)
- Mumei (Kongohyoe Moritaka)-

刃長 二尺一寸六分五厘強 / 65.62 cm 反り 六分弱 / 1.83 cm
元幅 33.1 mm 元重 5.4 mm
先幅 物打27.4 mm  横手位置22.7 mm 先重 物打5.4 mm  松葉位置3.8 mm
目釘穴 3個 時代 南北朝時代
The Nambokucho era
鑑定書 特別保存刀剣鑑定書 登録 平成31年1月8日 山口県登録
附属 ・素銅地金着はばき
・白鞘
価格 880,000 円(税込)



初代とされる金剛兵衛盛國は、博多の出身とも、太宰府の竈門山(宝満山)の山伏とも伝えられています。盛國の子盛高以来、嫡流は代々盛高と称しました。また、一門は名前の一字に「盛」の字を使用し、彼らは好んで「金剛兵衛某」と銘を切りました。茎の形状を卒塔婆の形にするのがこの一派の大きな特徴となっています。
金剛兵衛一派は鎌倉時代の後期に始まると伝えられ、江戸時代中期に貝原益軒(かいばらえっけん)が著した『筑前国続風土記』によると、初代盛国は博多に居住し、元は山伏で母は末の左文字の娘である、あるいは、太宰府有智山(うちやま)の正応(しょうおう)の子孫であるという2つの説を紹介しています。しかし、確たる来歴は定かではなく、現存する作品では、「金剛兵衛尉源盛高/正平□四年二月一日」の銘をもつ短刀が最古の作例で、南北朝時代の正平年間(1346~1370)に該当します。紀年銘を持つ作例に乏しく、歴代の系譜を示すことは今後の研究の進展にまたれるところです。

この刀は身幅の割に重ねが薄く、日本美術刀剣保存協会によって南北朝と製作年代が記されており、体配からも延文・貞治の作品と鑑せられます。
地鉄は板目肌に杢目が交じり、よく練れて地景入り地沸ついて精美。刃文は古刀ならではの匂口深い直刃仕立てで、刃肌に絡んで互ノ目や小乱れを成し、微細なる打除風の刃を交える等、古色に満ちた出来口を誇っています。
※委託品

裸身重量643グラム。


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