No.1001
 
無銘(とちはた)
Mumei (Tochihata)
縦:74.4mm / 横:68.1mm / 切羽台厚5.25mm
重さ 74g
附属 :桐箱
 
 
  ¥ 66,000 (税込)  

桃山時代〜幕末頃迄活躍した金工(鐔工)。栃畑系の鐔工達の歴史は、石州の石見銀山の歴史と深く係わっている。石見銀山が発見されたのは鎌倉時代のことで、桃山時代末期から江戸中期にかけて殷盛を極めた。石見銀山で働く登地波多(栃畑)鉱山の工人達の余技や副業として製作し始めたものが定着し、武士、商人の指料に用いる為、或いは土産物として販売されたものと思われる。時代が移り変わり、幕末頃になると銀の産出量も少なくなり、鐔の製作も極めて減少し、大森の町も寂れて物悲しく、武士の夢の跡のみ些かの慰めで残っていた。
栃畑鐔は島根県地方では銀山鐔と言われ、特徴は全部鉄地丸型(変わり丸型)縄耳で、大部分が蕨手の図である。在銘の鐔は、「石州銀山住守重」のものと、「浜田住寿三郎」のものぐらいで、殆ど無銘である。

この鐔は単純の中に雅味がある栃畑鐔の中でも鉄味良く、耳の縄模様は常に見るものとは仕事振りが異なり、全てにおいて質の高さをまざまざと見せつける栃畑鐔の名品です。