甲冑 13 総髪形伊予札腰取緋縅二枚胴具足
 室町末期の桃山になると、刀剣や弓が主流であった戦闘形式を覆し、ポルトガルより伝来せし火縄銃が戦の勝敗を分かつ大役を担うこととなる。その出現によってそれまで練革と鉄の小札を綴じ合わせて作られる頑強なる大鎧・胴丸・腹巻も、流石に鉛玉には勝てず、防具としての役割を果たせなくなった。戦闘はいよいよ激しくなり、下克上の名の元、日常茶飯事となった戦事に備え、予期せぬ敵の来襲にも簡単且つ短時間で着用でき、しかも鉄砲の弾を通さぬ鎧の研究と開発が行われた。その結果生まれたのが当世具足と呼ばれる総鋼製の甲冑である。当世具足と呼称するのは、大鎧や胴丸・腹巻等の前世の鎧と一線を引き、当時の戦に適した甲冑、つまりはその時代から見た当世の具足であるという意味である。
 当世具足の利点としては、先にも述べたように鉄砲・白刃に対して強く、更に短時間で着用できること、そしてそれまでの細かな小札を綴じ合わせた鎧に比べ、製作に要する時間が短い上に安価で且つ大量生産が易いと言う点である。総鋼製と聞くと一見かなりの重量があるように感じるが、この時代の当世具足は戦働きに適するよう、要所要所を頑強に作り、いらぬ飾りを省いて軽量化してある。それゆえ飾り気のないこの具足のような鎧を、俗に『働きの具足』『替え具足』と称し、高級武将は陣内に於いては大鎧や胴丸・腹巻を着用し、いざ戦働きとなるとこうした具足に着替えて戦ったのである。その後江戸幕府が成立し、天下泰平の世となると、復古鎧(江戸中期以降の大鎧や胴丸等)同様、様々な飾り金具が散りばめられ、その重量著しく、実際の戦には不向きな仰々しいものへと変遷する。
 この具足は、獣の毛を植え付け、あたかも兜を被らぬ剥き出しの頭部をイメージした「総髪形兜」と呼ばれる形式の変わり兜を具している。実際の戦にも使用された痕跡があり、それなりの痛みはあるものの、当時の戦闘の激しさを物語る好資料である。この具足を身にまとい、太刀を揮って奮闘する様は、遠目に「兜を被らず闘う命知らずの剛の者」と映ったことであろう。陣羽織を羽織る関係上、製作当初より袖はつかない形式で、その代わりに毘沙門籠手と呼ばれる袖が一体化した強靭な造り込みの籠手が付属している。