脇指 347 備州住宗久
- Bishuu juu Munehisa -

刃長 一尺二寸一分九厘 /36.95cm 反り 三分三厘 / 1.0cm
元幅 30.3mm 元重 6.8mm
先幅 27.5mm 先重 5.7mm
目釘穴 1個 時代 室町後期天正頃(1573〜1591)
The latter period of Muromachi era
鑑定書 登録 昭和56年7月1日 神奈川県登録
附属 ・下貝金鍍金二重はばき
・白鞘
価格 300,000 円(税別)  


備後三原一派の宗久は、永正頃と天正頃に同銘が二名確認されています。
備後国三原派は、備前・備中の両国に近いが、備前伝及び山城伝いずれの影響も受けず、鎌倉末期より室町末期まで一貫して大和伝を遵守しています。 従来は、正家が祖であるとされてきましたが、同工の年紀入りの作刀がいずれも南北朝期である為、最近では鎌倉末期の国分寺助国を祖とするという説が有力となっています。 三原派は、年代で大きく三つに分かれ、南北朝より以前を古三原、室町初中期を三原、室町末期を末三原と呼称しています。 また、三原派は古い時代から評価が高く、現在でも国の指定である重要文化財や重要美術品などに多くの作刀が指定されるなど、斯界で高く評価されています。 貝三原派は、末三原の中で名前に貝を冠した一派の事で、何故貝三原というのかには諸説有り、現在有力な説としては備後国御調郡高調町貝ヶ原という地名に因むという説と銘に「備後國三原住貝○○」と銘に切る事に因むという説の二説が有力で、また、一派の作の中には重要刀剣に指定されている物もあり、作風から見ても技量高き刀工群です。

この脇指は緻密に練られた杢目肌が顕著に肌立ち、匂口明るく冴えた直刃を焼いており、一見単調に見える焼刃には、砂流が頻りにかかり、解れ刃を交えるなど、三原一派が大和伝を遵守していたことを大きく頷かせる出来口であり、宗久の高き技量を誇るうぶ出しの優品です。
※現状登録証紛失状態につき、登録証再交付の後に納品致します。委託品。

裸身重量355グラム。


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