小刀 087 古山陸奥介弘元
- Koyama Mutsusuke Hiromoto -

刃長 四寸 / 12.12 cm 反り
元幅 11.8 mm 元重 2.3 mm
先幅 8.3 mm 先重 1.7 mm
目釘穴 時代 江戸後期文政四年~(1821~)
The latter period of Edo era
鑑定書 登録
附属 価格 40,000 円(税・送込)



水心子正秀門人。安永七年、二本松藩の鉄砲鍛冶古山久四郎の末子として生まれました。幼名は東蔵。後に幸之進と改称します。二十歳で仙台の刀匠十一代国包に入門。文化二年に江戸に上り、当時天下一の刀匠と称された水心子正秀に師事して腕を磨きました。蘭学者の司馬江漢(しばこうかん)にも師事し西洋科学の研鑽を積み、焼刃・湯加減や刀剣発錆の理論を会得し、鍛刀技法に活用しました。文化六年には弘元と改め、同八年に『刀を作る記』、文政三年(1820)に『刀剣見利書(みききしょ)』を著すなど、江戸でその名が知れ渡るようになります。文政四年五月には師正秀より免許皆伝の「剣工秘伝志」が伝授され、鍛刀技術の評価が諸藩の大名にも届くことになり、作刀依頼が相次ぎました。
初銘は国秀、後に宗次と切り、文政四年十月十三日に「陸奥介」を拝領してからは陸奥介弘元と号し、広元同人です。
こうなると、全国の諸藩より召し抱えの申し出が相次いで入り、時の二本松藩主丹羽長富は弘元に帰藩を命じたとも記録されています。帰藩以降、二本松藩お抱え刀工として藩士のための作刀に専念。藩主の意を汲んで他藩からの注文には応えなかったと言われています。 銘文は、鍛冶長者陸奥介弘元、奥州二本松住宗次作、二本松住古山宗次、陸奥介弘元、古山陸奥介弘元、於江府芝弘元作、陸奥守弘元、などと切り、文化六年頃より、文政、天保六年までの年紀が入る作品が残されています。天保十四年年五月二十七日死去、享年六十六歳、市内亀谷光現寺に眠っています。

この小刀は身幅重ね共に健全で、明るく冴えた互ノ目を焼いた作品。後の時代に棟区を少し削られていることが惜しまれますが、研ぎ上がりが期待できる一刀です。

裸身重量13グラム。


各種クレジットカード、セディナショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。