刀 714 源陸奥守大道作
- Minamoto no Mutsunokami Daido -

 刃長 二尺二寸三分 / 67.26 cm  反り 五分 / 1.51 cm
元幅 31.5 mm 元重 6.7 mm
先幅 物打24.8 mm  横手位置22.4 mm 先重 物打4.8 mm  松葉先3.4 mm
目釘穴

1個

時代 室町後期天正頃(1573~)
The latter period of Muromachi era
鑑定書 銃砲刀剣研究会鑑定書 登録 平成29年2月16日 長野県登録
附属 ・素銅地下貝銀着上貝金着二重はばき
・白鞘
価格 360,000 円(税別)



室町末期から新刀期にかけて、美濃には大道を名のる鍛冶が数工居り、中でも陸奥守大道は有名で、経眼する年紀には天正2、4、13、18年があります。
また、三品派の祖として伊賀守金道、越後守金道、丹波守吉道、越中守正俊の四兄弟の父としても広く知られる大道は、関室屋兼在系の刀工と伝え、初銘を兼道と切り、はじめ関の地で鍛刀します。永禄12年、正親町天皇より「大」の字を賜り、「兼道」より「大道」と改めますが、その頃の銘文に「大兼道」「陸奥守大兼道」と切ったものがみられ、「陸奥守」も同時期に受領したものと推察されます。
美濃系鍛冶は不思議なことに、ある時期を境に一部の鍛冶を除いて名に“兼”の字を用いなくなります。例をあげますと“兼常”が“政常”へ、“兼房”は”氏房”へと改銘していることから、大道も大兼道から“兼”の字を略して“大道”に改めたものと推測されます。
その後は岐阜に移り、天正18年頃、堀川國広が関東へ下向の際、濃州岐阜の地で大道と合作した「濃州岐阜住大道 信濃守國広」と銘ある作品が遺されており、両者の交流を窺い知ることができます。
文禄2年頃になると、四人の子供とともに上洛し、その後は山城の地に定住して鍛刀し、三品派を誕生させます。

本作は、杢目肌良く練れて詰んで少しく肌立った精美な地鉄に、匂口明るく冴えた互ノ目丁子乱れを巧みに焼き上げた作品で、砂流が顕著に見られ、破綻無き地刃の出来は見事の一言に尽きます。
現状、地刃の観賞にさほど支障ない程度の薄錆がございます。

裸身重量726グラム。


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