刀 682 伯州住秀春 慶應三二月
- Hakushu ju Hideharu -

 刃長  二尺二寸九分四厘 / 69.5 cm  反り  五分三厘 / 1.6 cm
元幅 30.5 mm 元重 7.5 mm
先幅 物打23.6 mm  横手位置21.0 mm 先重 物打5.6 mm  松葉先5.0 mm
目釘穴

1個

時代 江戸末期慶應三年(1867)
The last years of Edo era
鑑定書 登録 昭和31年10月22日 兵庫県登録
附属 ・素銅地銀着はばき
・黒蝋塗印籠刻鞘打刀拵
価格 480,000 円(税別)



伯耆國八橋の刀工である伯州秀春は、本名を藤本和一郎と言い、文政4年8月7日、藤本林蔵の長男として八橋村に生まれました。天保9年17歳の時に汗入郡(現西伯町)の野鍛冶貞島伸吉の所に8年間奉公し、単調な野鍛冶に飽きて刀工を志し、弘化3年25歳の時に江戸に出て、出羽國出身で大慶直胤の門人である山本嘉伝次秀直の弟子となりました。鍛刀修行すること5年、師匠の名前を一字貰い受け『秀春』と命名。彼は帰国の途中、伊勢の神戸山田新町にて3〜4年鍛刀しました。『伊勢国山田新町住一雲斎秀春』と銘切られた作品があると伝えられおり、安政4年、郷里八橋村に帰り刀鍛冶を開業。壮年以後の作刀に『尚春』と切ると言われ、『秀春』『尚春』は同一刀工であり、長男は『尚家』と切りその後『直綱』と改名したとも伝えられています。
作風は備前伝をよくし、鍛えは小杢目良く詰み無地風となり、刃紋は、匂の締まった直刃が多く、互の目の乱れ丁子刃等もあります。
また、【秀春】は出来上がった刀を雨石の間に渡し、その上から大石を落として強度試験を行い、折れたり曲がったりするとまた打ち直し、満足できる作品にしか銘切りを行わなかったと言います。
慶応2年八橋城主(池田家の家老)津田元永がこのことを聞き、抱え工となるよう勧めるも聞き入れず、その為八橋から追放され赤崎町の別所尻夫婦岩付近に追放されました。赤貧の中にも作刀に精魂を傾け力作を作ったといい、秀春が鍛える刀は折れず、曲がらず、良く斬れたそうで、原材料には日野産の印賀鋼を用いたそうです。
秀春は明治22年3月1日、69歳にて没し、その墓は八橋の妙覚山法輪寺にあります。廃刀令後は和一と銘し親子仲良く刃物、農具等を作るも、こちらも切れ味が良く、和一鍛冶の刃物は評判が高かったと言います。

この刀は緻密に練られた小杢目肌が詰んで美しく、一見単調に見える直刃は、匂口が明るく冴え、刃縁には細かな金筋が多々見られ、刃中には葉や、葉が連続してあたかも雲棚引く様を見せる玄人好みの出来口を示した一刀。
区が送られ、中心尻が切られていることこそ惜しまれるものの、磨り上げても尚腰に帯びていたいと思わせる一刀だったのでしょう。特筆すべき疵欠点は無く、現状は擦れ傷多数で切先先端を欠いているも、帽子の焼も幅広くしっかりとあるので、再研磨後が非常に楽しみな逸品です。

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裸身重量770グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,048グラム。


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