刀 1286 肥前國近江大掾藤原忠廣
- Hizen no kuni Omi Daijo Fujiwara Tadahiro -

刃長 二尺三寸五分八厘 / 71.45 cm 反り 五分二厘強 / 1.6 cm
元幅 31.2 mm 元重 8.3 mm
先幅 物打22.8 mm  横手位置19.2 mm 先重 物打6.0 mm  松葉位置4.4 mm
目釘穴 1個 時代 江戸前期
The early period of Edo era
鑑定書 特別貴重刀剣認定書 登録 昭和42年5月16日 京都府登録
附属 ・素銅地金着はばき
・変塗鞘半太刀拵
・白鞘 / はばき
価格 1,430,000 円(税込)



近江大掾忠廣は初代肥前國忠吉の子で、幼名を平作郎と称しました。彼が十九歳の時、寛永九年八月に父忠吉が六十一歳で没した為、若くして家督を継ぎましたが、既に一流刀工としての技を会得しており、一門を統率して家名を盛り立てたました。
こうして一人立ちした平作郎は、父と同じく新左衛門と名を改めて、佐賀藩工として鍋島勝茂に仕え、寛永十八年には近江大掾を受領。刀剣需要の多い時期に佐賀藩工として門弟を統率しながら数々の優れた作品を残しました。
近江大掾忠廣の知名度は高く、大業物に列位するほど斬れ味も優れ、現代に於いても人気を博す江戸前期の肥前忠吉家の名工で、事実上の二代忠吉ながらも、生涯に渡り忠吉銘は切らず、忠廣とのみ銘を切りました。
貞享三年、嫡子陸奥守忠吉(三代忠吉)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代忠吉)を指導し、元禄六年五月、八十歳の高齢をもって天寿を全うしました。
作刀期間は六十有余年に及び、肥前刀の名を世に高らしめた稀代の名工です。

この脇指は小板目肌が良く練れて地沸付き、所謂小糠肌を呈した精美な地鉄に、匂口明るく冴えた乱れ刃を焼き上げた作品で、一部互ノ目丁子交じり、砂流かかり、肥前刀の代名詞である直刃とは趣を異とした作柄を示しています。

この刀は元先の差が開き、反り程好い優しく上品な姿に、小板目よく練れて地沸付いた地鉄に、中直刃に小湾れを交えた刃取りで、匂口は明るく冴え、小沸豊かに互ノ目や砂流を交え、鋩子は直ぐに丸く返っています。

附属の拵は完全なるうぶ品で、金象嵌が眼を惹く肥後金具の名品を用いた半太刀拵。拵だけでも独り歩きできる名拵です。

裸身重量758グラム。  拵に納めて鞘を払った重量1,046グラム。


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